ちょっと全然関係ない話ですが、金曜日にバンテリンドームに。
その日は福留孝介選手の引退試合ということで、本当にたまたまなのですがチケットをもらったので中日vs巨人戦を見に行きました。
三連休の初日で巨人戦、福留ラスト試合ということもあって完売御礼の満席でした。
試合展開は、最後のセレモニーがなかったらみんな途中で帰ったんじゃない?・・・というくらいボロボロでしたが😅。
入場者に配られている福留選手の背番号の入ったA3サイズぐらいのペーパーを渡され待つこと3時間、やっと出番が。
福留選手が出てきたのは9回表の守備から。
かつて数々の捕殺をしてきたライトの守備につき、守備機会(ボールが飛んでくる)はなかったものの、ドラゴンズを代表するスーパースターの「定位置」にファンは大喜び。
9回裏の最後の打席はショートフライという結果でしたが、個人的には、チャンスに強い選手なので、大量点のチャンスで代打に出してほしかった気もしますがまぁ、そこはしょうがないでしょう。
結果よりも「ファンサービス」を重視する立浪監督らしい起用です。
印象に残った福留選手の言葉
試合終了後は引退セレモニーで、まさかのシカゴカブスにいる鈴木誠也選手からもビデオメッセージがあったり、ビデオメッセージに出ていた、元阪神の鳥谷敬氏と岩瀬氏が花束持って現れたり、ちょっとしたサプライズがありましたが、印象的だったのは福留選手の言葉でした。
史上初の7球団指名のドラフトで近鉄からの1位指名を蹴って社会人野球に進み、念願のドラゴンズに入った福留選手ですが、まさか後年、その当時近鉄の監督をしていた佐々木恭介氏が中日ドラゴンズの打撃コーチとなり、その「佐々木コーチと一緒に福留の打撃改造をした」という話が福留選手の中で印象に残っているエピソードなんだと。
そこで、三冠王目前だった巨人の松井選手との首位打者争いに勝ち、
「ようやくプロの世界でやっていける」
と思ったそうです。
首位打者争いするまでも、周りから見たら十分プロ野球選手として活躍をしていたとは思うのですが、たぶん本人の中では納得していなかったのでしょうね。
たしかに「大型ショート」として入ってきたものの、守備にはかねてより不安視され、打順も固定されていませんでしたが、首位打者になったときは「3番ライト福留」として全試合出場をしたわけですし、「これで一人前のプロ野球選手になれた」と思ったのでしょう。
もちろん、そこに満足することなく、とにかくバットを振り込み(一日3,000スイング!を課していたとか)、朝起きるとき手がバットを握った状態のまま固まっていたとか。
中日ドラゴンズの元監督である落合博満氏にも、かつてバットのスイングをずっとし続けてバットから指が離せなくなったので、陰で見ていた稲尾監督がゆっくりはがしてくれた、なんてエピソードがありますが、それだけ、人間の「限界」を超えた習練を積み重ねてきたということでしょうね。
つねに「1番」であろうとした男
この話を聞いて、私がかつて、ナゴヤドームの警備員のバイトをしていた時のことを思い出しました。
ナゴヤドームは1階レベルがいわゆる「グラウンド」「ベンチ」になっていて、客席の下はブルペンやロッカー、球団事務所、食事スペース、監督室、トレーニングルームなどがあるのですが、そこにつながる通路の先に、選手用の駐車場があります。
その近辺にいたり、関係者入口の前で立っていると、車から降りた私服の選手がロッカーに向かう姿をよく見るわけですが、とにかく来るのが一番早かったのが、福留選手と荒木選手ですね。
彼らは当時レギュラーでしたが、一番試合に出ている人が、一番早く来て一番練習していたのです。
(なんなら、最後まで残って打撃練習していることもあった)
どれだけ「貪欲」だったかがよくわかります。
よく、ドラゴンズみたいな地方球団の古参ファンやOBは「若手を使え」と言いますけど、福留らの姿を見ると、結局、才能の大小もあったかもしれないけど、それ以上に、彼らを追い落とすほど練習した選手がいなかったというのが現実なんじゃないかと思います。
(森野選手が落合元監督に、病院送りにされるノックをされたのなんてまさに、練習してないからレギュラーがとれないんだということの裏返しみたいなエピソードです)
そんな福留選手の猛練習をさせたのは、「首位打者になってやっとプロの世界でやっていけると思った」という、とても高い目的意識ですね。
首位打者って言うのは、基本的にそのリーグでたった一人しかなれません。
ただただプロ野球選手になって活躍するだけじゃなく、本当の第一線でしのぎを削るような選手こそがプロ野球選手なんだ、という強い目的意識を持っていたということです。
それがあるから、今の現状に満足せず、「もっと」「もっと」と練習に励むわけで、その結果、(同級生の荒木選手と共に)誰よりも早く球場に来ていただけなんです。
他の誰のためでもない、自分の理想像のためですよね。
その結果として、荒木選手と共に、2000安打以上の実績を残し、20年以上という長い期間現役でいられたわけです。
「福留を見習いなさい!」ではなく
かといって、お子さんに
「福留みたいにいっぱい努力して一流になりなさい!」
と要求するのはちょっと違います。
なにせ、野球界でも限られた人しかなれないプロ野球選手ですら、同じようにできないわけですからね。
それよりも、その強い目的意識がなぜ生まれたか?
なぜ、現状に満足しなかったか?
そういう視点を持つ方が大切です。
福留選手は、小学校の頃に地元の鹿児島のキャンプ地に来ていた中日や広島のプロ野球選手を間近に見ながら、背が低くても他の選手を圧倒する立浪選手の虜になり、サイン入りバットをもらい、同じ道を歩もうと、PL学園からドラゴンズに入るという夢を持ったそうです。
そのためには、小学校の頃から「プロ」を意識して来たというわけですから、早い内から夢中になれるものを見つけて、そこにひたむきな努力を積み重ね、さらにそこでも満足せずに努力し続けた結果、24年間もプロ野球のしかも1軍というステージで活躍してこられたのでしょう。
誰もが歩める道ではないかもしれませんが、それでも、成功の陰に努力があり、努力を支えるビジョンがあるからこそやれたことで、それがあれば、どんな人だって、なにがしらの成果は残せるものです。
そういった視点で、お子さんたちの「興味」や「ひっかかり」を大事にして、子どもたちのやりたいことを応援してあげてほしいですね。
才能×努力
だと思いますので。