メンターのひとり言

お子さんに「こんなこと」を言っていませんか?~子どもが「出来る子」を真似しない理由

ある休日の話。

ふと、親御さんが言いがちで、かつ、失敗しがちなことに出会いました。

ドッグカフェでの1コマ・・・

我が家には2頭、犬がいるのですが、その内の一頭、シーズーとトイプードルのミックス犬のジャックさんは、遊ぶことより食べることが大好き(もう一頭はボーダー・コリーなので遊ぶのに命をかけてますが)。

そのため、近所のドッグカフェ(の食べ物)が大のお気に入りで、散歩中、隙さえあれば毎日行こうとたくらんでいます😅。

食べ物と女の人が大好きなジャックさん(♂)

週一くらいで行っているから店の中に入れば手慣れたもので、どの席でも、ひたすら伏せのポーズで料理が出てくるキッチンの方を凝視してスタッフさんにアピールするのが日課?です。

毎回なのに、とにかく待ちきれないジャックさん

平日だと結構常連さんが多い印象ですが、休日には初見さんかな?という犬連れの方が結構来ます。

その中には、あきらかにトレーニングを受けてないな、とわかる落ち着きのない子も・・・。

うちのジャックさん、今は8歳ですが、夜鳴きがひどかった生後8ヶ月くらいから、鳥羽見寺子屋を支援してくれている、学区の子ども育成対策委員長・守山西中PTA会長の髙橋氏が経営している「わんわん保育園DUCA」に通っています。

DOG DUCA-トレーニング&わんわん保育園と犬の保護活動

名古屋市で2001年より家庭犬のしつけ教室・トレーニング・わんわん保育園DUCA・トリミングと犬の保護・里親譲渡活動をしています。

そのため、社会性をバッチリトレーニングされ、家でのやり方も教えてもらっているので、今ではとても「お利口さん」にしてくれます。

お利口にしてないといけないことを、彼は知っているんですね。

だから、「待て」といえば、目の前に念願のごちそうがあっても、しっかり待つわけです。

「まだですか?」

とはいえ、我が家では長いことそれが「当たり前」ではあるので特段意識することもないのですけど、他の、特に子犬みたいに、飼い主さんの言うことを聞かない愛犬と暮らしている方からすると、凄いと思うのしょうね。

落ち着きのない子犬の飼い主さんが、そんなジャックの姿を見て、

 

「あの子見てごらん?
 お利口さんだよ?」

 

と愛犬に語っていたのです。

まぁ、そんなこと言っても犬には通じないので、当然のことながら犬が行動を改めることはありません。しかも子犬ですからね。

もちろん飼い主さんも通じないのはわかっているけれども、ついつい言いたくなったのでしょう。

 

それって、親御さんがよく言うセリフですよね?

ですが、それを見て私は、なんか、

親御さんがお子さんに言いがちな言葉だな

とも思ってしまいました。

 

たとえば、自分の子どもが順番待ちをしていているんだけど、落ち着きがなくて、落ち着いて待っている同年代や下の世代の子を指して、

「あの子見てごらん? お利口さんに待ってるよ?」

と言ったことはないでしょうか?

 

私には子どもがいませんが、

「○○ちゃんはおうちのお手伝いもしっかりやるよ?」

「○○くんは毎日宿題やってから遊びに行ってるんだって!」

「お兄ちゃんみたいにできないの?」

とか、結構似たようなシーンを見かけたり、聞いたりすることがあります。

とはいえ私もなにげにしがちなので気をつけなきゃと毎回思うのですが、他の「上手く出来ている」子とくらべて「見習ってほしい」、という想いでついつい言ってしまうことってはありませんか?

大概のケースは、親御さん的には悪気もなく、むしろ「良かれと思って」言っていると思うのですが・・・

でも、こう言った言葉で、子どもが言うこと聞くようになります?

聞かないですよね。

そもそも、すなおに聞いてくれるようなら、そんなこと初めから言わずに「こうしろ」と言えばいいだけですからね。

それが通じないからせめて、「あれを真似するくらいしてよ」と言いたくなるのです。

 

「願望」だけではやってくれない

とはいえ、「真似しろ」といって真似できたら誰も苦労はしません。

出来るように教え育てておかないと、できないものはできないのです。

うちのワンコだって、毎日でも行きたがるドッグカフェに来ても、食べさせてもらえるまでひたすら待てるのは、そういう風に教えているからです。

まぁ、正確に言うと、飼い主の私たちが、わんわん保育園で

「食べる前はスワレをして待つ」

「ヨシというまで食べない」

という風に家でもふだんからしなさいと教えられているからで、だから、外でもできるようになるわけです。

2歳児程度の知能と言われる犬ですらそうしないといけないので、それより知恵のある人間の子どもに対して、それをすっ飛ばして「見習って」と言っても、できないのが当然、なんですね。

ふだん出来ているなら別ですけど、たいがいは出来ない子に出来ないことを要求しがちです。

でも、私も含め、大人って、子どもにも犬にも、自分たち大人と同じような感覚で、簡単に「見習える」と錯覚しがちなので、ついつい「見習って」と言ってしまいがちです

ですが、「見習う」っていうのは、結構高度な生活スキルなので、言ったからといってできるわけじゃないんですね。

実際、テレビのニュースでおかしな謝罪会見をよくやってますが、大人になっても全然他人を見習ってないですよね?

それが、まだ成人にも達していない子どもができないのは、むしろ当然です。

 

やってみせねば、人は動かじ

こういう時、人材育成の世界では、大日本帝国艦隊の司令官を務め、太平洋戦争にも反対していた名将、山本五十六(いそろく)の名言を用いて、こういう風にした方がいいと語られることが多いです。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

「言って聞かせる」の前にまず「やってみせろ」という考えですね。

それがあって、させた結果を褒めないと人は動かないよと。

たとえば、親が子どもに「他人にやさしくしなさい」と言っても、親がエレベーターで真っ先に降りる姿を見せていれば、見習うわけないですよね。

また、親御さんが勉強している姿を見せていないのに、子どもに「勉強しなさい」と言っても、やらないのはいわば当たり前ということですね。

よく、「親の学歴が子どもの学歴に直結する」と言いますけど、実際は、親が学ぶ楽しさや努力する姿を知っているから、子どもにそれをうまく伝えられていたり、真似しているだけ、というケースも少なくありません。

前に勤めていた会社にいた京大卒の優秀な子は、親が外科医で、家族での夕食時はテレビで最新の手術映像をずっと見ながら食事をしていた😅、というトンデモエピソードを持っていましたが、親が貪欲に新しいものから学ぼうとしている姿を見ているので、その子も自然と貪欲に学ぼうとする子になったわけです。

「親の背中を見て子は育つ」

というやつですね。

(楽しい食卓ではなかったようですが💦)

 

もちろん、中には、親が勉強してなくても、勉強する子はいます。

それは、親に言われたからではなく、自分で「やってみた」からですよ

そうしている中で、面白かった、褒められてうれしかったとか、そういう理由で動いていることがほとんどです。

親が「動かそう」としたわけではないから、「やってみせる」必要も「言って聞かせる」必要もないですよね。

そういう子をそれこそ「見習え」といっても無理な話です。

だって彼らは、自然に、やりたいようにやった結果としてそうなっているので、やりたくもないのに真似する方が不思議です。むしろ、それでやるような子は、精神的な抑圧を受けて育つので、あとあと怖いです。

 

「見習え」る状態になっているか?

いずれにせよ、「見習え」というだけでは、犬でも子どもでも、見習わないのが当たり前。

「見習え」と言って「見習う」ことができる状態になるまで育てる、ということがまず先ですよね。

そのためには、一つひとつ、出来ないことを、自分の力で出来るようにしていくことが大切です。

大人は、そのサポートをするって気持ちが大切です。

思い返しても見て下さい。

立つのが難しい時はつかまり立ちさせるとか、

ごはんを食べる時は手を合わせるだとか、

赤ん坊の頃の我が子は、言葉が通じなくても色々教えることが出来たではありませんか。

それが、子どもが大きくなっていつのまにか「言葉」が通じるようになってくると、大人はついつい、自分の発する言葉の「想い」まで汲みとって純度百パーセントで伝わると勘違いしがちです

そもそも、芦田愛菜みたいにそんなことが出来る子だったら、「あの子を見習いなさい」と言う必要もないでしょうし、成績もいいでしょう。

芦田愛菜さんの「レベル違い」の頭の良さに驚愕「医学部進学」も合格圏内か…? マネー現代 | 講談社

芦田愛菜(17)について、一部のネットニュースが「来春医学部進学内定!」と報じた。芦田が名門私立A女子高校に通う才媛であることはつとに知られているが、医学部進学とはどういうことか?

先日、文章題を絵にする「お絵かき算数ドリル」を寺子屋の子どもたちにやらせましたが、ちょっと文の体裁を変えているだけなのに、2学年下、1学年下の問題すら正確に読み取れていない子ばかりでした。

わかろうとしなければ、わかりません。

わかろうとするようにさせる、つまり、「自分の頭で考える」ようにさせるのが、まず先なんです。

 

子どもも旦那も、「出来ない」のがデフォ!

そんなわけで、普通の子どもは、「わからない」というのが基本(デフォルト)です。

アプリの入っていないスマホ、というとわかりやすいでしょうか?

子ども同様、可能性は確かに無限大ですが、デフォルトのカメラで写真を撮れても、「盛れる」写真にするにはアプリでの加工が必要ですし、そもそも「キレイな写真」を撮るにも技術が必要です。

これは子どもに限らず、

「写真撮って」

と旦那さんにスマホを渡しても、

「小顔で美白に見えて、シワやたるみや白髪が目立たないように、上の方から光の加減を考えて、あとで加工がバリバリ出来るあのアプリを使って撮ってね」

と読み取ってくれる旦那さんがどれほどいるでしょうか??

なかなかいないですよね?

そんなん伝えるよりむしろ、自撮りした方が早いですよね?

大人ですら、「伝えたいこと」というのは、思った以上に伝わらないものです。

そこから、さらに人を動かそうとするためには、「見習って」ではなく、「こうするんだよ」とやってみて、それができたら「キレイに撮れた、ありがとう」と褒められるから、旦那さんの撮影テクがやっと上がるわけです。

大人でもこうなので、
子ども、特に男の子はもう、「言葉が伝わる」とは考えない方がいいです

そうでないと、イライラばかりが募ります。

とくにヤンチャな男の子なんて、犬とか猿とか思っていた方が気が楽です。

「出来ない」のがデフォルトだと思えば。

だから、出来るようにするために、犬にオスワリを教えるように、サルに芸をおぼえさせるように、工夫しながら、望む方向に導いてあげる必要があるのです

特にお母さん方は、「周りと合わせる」女の子の常識で考えますが、男の子はそんなこと考えませんからね。

その違いをふまえないと、イライラが募るばかりです。

 

こうなってほしいと“願う”のは悪いことではない

ただ、人間ですし、親御さんがお子さんに対して愛情があればあるほど、

「こういう風になってほしい」

「こういう失敗はしないでほしい」

「ちゃんとしてほしい」

という想いが強くなるのも事実。

ただ、子どもは子どもの考えがあって行動しています

「遊びたい」のに、「あの子を見習って○○しなさい!」と言われたって、従いたくない! と思うのが自然です。

言ってしまえば、親の理想と子どもの理想が違うって事です。

違うだけならまだいいですが、そこに大きなへだたりがある場合、結局どちらかの理想に近づけさせようとするので、ケンカになってしまうことが多くなりがちです。

それでは意味がありません。

ケンカくらいならまだいいですが、本当にムリヤリさせると、強い反抗を示されることもあります。

 

最悪の場合、叩かれ続けた犬が防衛本能で咬みつくように、力を持った子どもが親に暴力をふるうことだってあります。

「親の理想」を伝えることは悪いことではありません。

いろんな経験した中で、「こうなったらいい」と思っているワケですからね。「正当性」はあります。

ただ、それが、「子どもにとっての理想」とかけ離れていた場合、すんなりと受け入れてくれることはありません。

少なくとも、子どもにとっての「正当性」がないからです。

 

わかるように、できるように教える

そこの差をどう埋めていくか?

その方法論は色々ありますけど、大事なのは、わかるように、できるように教えていく、ということです。

というと当たり前に思うかもしれませんが、やると難しいです。

たとえば、

「宿題をやらない」

という子はそもそも、与えられた仕事(タスク)を完遂させようとする意識がないということです。

ですからまずは、与えられた仕事を完璧に遂行できるように導いていかなければなりません。

親からすると、「みんなやってること」「出来て当たり前」なのはそうなのですが、それは子の理想ではないのです。

子どもにとってのあるべき姿にもなるように、導いていく工夫が必要なのです。

方法論は色々ありますし、別に「ご褒美」でも悪くはありません。

そりゃ、自ら意欲的に学んでくれるならそれが「理想」ですが、それができない場合は、「形」から入るのも仕方ありません。

ご褒美だけが目的にならないようにすれば、条件付けのキッカケとして使えますしね。

ただ、「ご褒美がないと動かない」となるようでしたらご褒美の使い方が間違っています

その辺の話をすると長くなるのでまた別の機会にお話ししますが、わかりやすく犬の話に置き換えてみますと、たとえば犬に「オスワリ」を教えるとき、ムリヤリ腰を押さえつけてもおぼえません。

そうするよりも、犬の頭上にご飯を持ってくれば自然と座る態勢になります。

そこでご褒美をあげていれば自然とオスワリをおぼえますが、それだとご褒美目的だけになりますので、ご褒美がないとオスワリしません。

ご褒美をあげつつ、「よくできた」ということを褒めてあげて、やった行動と「うれしい」という感情とをリンクさせる必要があります(だそうです)。

そうすることで、ご褒美ナシでもオスワリができるようになるのです。

つまり、「感情」をコントロールすることが大事なんですね。

 

子どもは「感情」に負けがち

子どもは「理性」で動くよりも、「感情」で動きたがります。

たとえば小学生でも高学年くらいになると、勉強しなきゃいけないことは完全に理解していますが、「やりたくない」「遊びたくない」という気持ちの方が勝るから勉強しないだけです。

つまり、理性より感情が優位に立っているんです

でも、感情のまま行動しているだけでは、社会とうまくやっていけません。

子どもがそれでもやっていけているのは、あくまでも子ども社会の中では大きな問題にならないからです。

だから、親がいなかったらそれじゃNGだろうということを平気でするし、そんな姿を見た親からすると、「それじゃダメだろう」と思ってあれこれ言いたくなるのです。

その行き着く先が「見習いなさい」なんですよね。

ああするのが「正解」で、なんなら「模範解答」なんだと。

でも、子どもにとっては、それがなくても生きていけるので、見習わないわけです。

また、感情はエネルギーの原動力なので、それを否定することも難しい。

でももし、「こうしなきゃいけない」というルールを守ったら銃殺されるようなら、子どもでもちゃんと見習います。軍隊なんかそうですよね。厳しいからこそ従うみたいな。

だから、子どもが本来やるべきことをやらないということは、理性より感情を優先し、「やらなくても問題ない」と思っているからですね。

ひと言で言うと、世の中をなめてるということです。

だからなおさら、親御さんは腹が立つのです。

 

大切なのは「感情のセルフコントロール」ができること

江戸時代なんかだと子どもの頃から奉公に出され、10歳にも満たず「見習い」として働かされることもあったので、そんな甘いことが通じなかったのだろうと思われますが、今はそんな風に働かせるのは、家業の手伝い以外はNGですよね。

学校の職場体験も、「無料体験」ぐらいの軽いノリなので、社会で生きて行くことの大変さを学ぶ機会にはなっていません。

じゃぁ、どうしたらそういったことを学ばせられるのか?

やっぱり「学校」というシステムを活用するのが一番早いです。

宿題が出されたら、やりたくなくても宿題をやる、テストがあるんだったら、テスト勉強をする。取り組むべき課題(勉強でも芸術でもスポーツでも)があったら、真剣に取り組む、といった当たり前のことです。

宿題否定論者もいますけど、先生は子どもが勉強出来てないから宿題にしているので、学校が勉強のフォローアップ体制を整えられない限りはどうしても宿題が必要な子が多いのが現実だと思います(出来ている子はいらないと思いますが)。

なので、そこに文句を言うよりも、その制度に乗っかる方がよいですね。

子どもは、自分の「ああしたい」「こうしたい」という感情とか欲望に従う気持ちが強いので、大人が教えなければいけないのは、理性での押さえ込みではなく、そういった感情のセルフコントロールです。

したくないけどやらなきゃいけないことに直面したとき、どうやってそれに取り組むようにさせるかとか、どうやったら感情を抑えて理性で行動できるようにするかとか、そういうことを身につけさせる事ですね。

「塾に行くと勉強する気になる」

というのは、そういうスイッチが入るからです。それもセルフコントロールの1つですね。
(寺子屋に来る子もそういう子もいますが、家でもスイッチを入れてほしいですね😅)

宿題をやる、ということも、「家に帰ったら遊びに行く前に宿題をさせる」というのも1つのコントロール方法です。やりたくないけどやらないといけないという仕組みを作って、理性で感情をコントロールしているわけです。

こういったことを、一事が万事、できるようにしていくということですね。

そして、理性で感情をセルフコントロールできるようになってくれば、「見習って」ということを言う必要もなくなっていきます。

すなわち、「大人」になるわけですね。

 

「大人」として「子ども」を導いて上げること

実はこれ、本来はテクニックも不要なんです。

だって、親御さんは、大人として社会で生きて来たわけですよね?

それが子どもにも出来るように、子どもに伝わるように教え、育てていくことができればいいのです。

血がつながっている子であればなおさら、父母の性質を受けついでいる可能性がありますから、それを踏まえて、感情のコントロール法を身につけさせられるように、あれこれ工夫していけばいいのです。

そのためには、親御さんも感情のコントロールができているか、自己をふり返る必要もありますが、案外、そういったところに答えはありますので、ぜひともやってほしいですね。

よくあるのが、親御さんがあまり勉強をしてこなくて苦労したので、お子さんにそうさせたくなくて勉強をさせたがる、というケースですが、自分がしたくなかったことをさせるわけですから、子どもとしてはそれを感じて余計反発しがちです。

ですから、たとえば子どもが勉強をしない、というのであれば「もし、あの時の自分だったら、どうやったら勉強しただろうか?」とふり返りながら、過去の自分の感情をコントロールするための方法を色々考えて取り組む方が、実は案外近道だったりします。

逆に、一番よくないのは、塾を転々とすることです。
塾に丸投げで、根本的に解決してないですからね。

 

大人が感情的になったらもう負けです

また、感情のコントロールが出来ていない子に、文字通り「感情的に」叱っても効果はありません。

たまにはそれも有効ですが、結局感情で「ヤバい」と思うだけなので、一時的にしか効果がないからです。

むしろ、大人の方が感情的だと思われたら意味がありません。

感情的な大人の言うことを聞く子どもは少ないからです。

子どもたちに嫌われる先生は、すぐ感情的になる先生です。厳しい先生とかではありません。

子どもは、感情のままに行動するから「子ども」と言われるのです。

これは子どもでもわかります。

だから、良いか悪いかは別として、子どもと同じレベルの先生に、敬意を持つことなんかないのです。

それを踏まえて、からかってくる子もいますからね。

感情のおもむくままに行動させないことが、社会性を身につけることです。

もちろん、感情を押しつぶすのはよくありませんが、感情だけで生きていたら、孤立するだけですからね。

「ムカつくから人を刺した」とか、感情でしかないじゃないですか。

 

感情をセルフコントロールすることは、社会性を身につけることにつながる

たとえば犬だって、別に食べ物があったら食べられるときにたくさん食べたい生き物だから満腹中枢がないわけで、極力、人間の言うことを聞いて、お利口に待つなんてことしたくないのです。

でも、犬は群れで生きる動物なので、ルールに従う性質があり、それを教えれば守ることが出来ますから、その仕組みを使ってトレーニングします(だそうです)。

人間の言うことを聞いていれば、ご馳走にたどり着ける・・・だからきっとウチのジャックさんは、リードを離しても逃げず、ドッグカフェでもお利口にしているのです。

(アニマルコミュニケーターによると、本心では「もっと食べさせて!」と思ってるようですが💧)

人間もそういうことないですか?

我慢して働いているのだって、給料もらえるからとかそうですよね。

まぁ、本心ではどう思っているかは別ですが、まずは「形」からちゃんとできるように導いてあげられるとよいですね。

  • この記事を書いた人

メンター 田中聖斗

名古屋市守山区で地域の学び舎『鳥羽見寺子屋』を主宰。塾に行けない・行きたくない子の学習指導や、子どもたちの学びを促す特別授業をやっています。子どもたちに寄りそうことを重視し、どんな子でも受け入れています。作家・企画屋・家庭教育アドバイザー・教材開発者です。花粉症の舌禍免疫中のため、現在は年中メガネです。

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