「脳死」とは本来、脳の生命活動に必要な部分以外が死んだ状態になることを意味します。
しかし、子どもたちにとっての 「脳死」は少し違っていて、たとえばゲームでの「レベル上げ」や、ヒマつぶしにSNSのストーリーをちゃっちゃと切り替えるなど、大して脳を使わずにできる作業を「脳死でやる」と表現しています。
これは勉強についても使えて、ドリルの答えを丸写ししたりすることや、たとえば単元が「かけ算」なら、意味のわからない文章題が出てもとりあえず「かけ算」を使って乗りきったりすることなどは、まさに「脳死でやった」典型といえるでしょう。
寺子屋の文章題強化プログラム『絵算』でも、はじめの内は解き方がまったく思い浮かばないので、安易に「これって何算?」と聞いてくる子がいますが、これも普段から脳死で勉強している証です。
もちろん、そのままではいけないので、自分で考えられるように導いていきますが、そもそも、勉強する理由の1つとして、課題に直面した時に「どうしたらいいのか?」を自分で考えられる力を身につけることがあります。
しかし、脳死で勉強する習慣はそれを放棄してしまう行動なので、とても危険なのです。
というのも、最近はAIの進化がめざましく、すでにAIを使ったサギやフェイクニュースの被害が出始めていて、今後はさらにAIの作ったリアルなウソが増えると言われています。
よく、AIについて、「AIが人を支配するか?」みたいな話が出ますが、AIに実際に指示を出すのは人間です。
つまり、何でもかんでもめんどくさいから脳死で済まそうとする人は、AIを使って悪事を働こうとする人にとって、とても都合のよい人間になるということです。
なぜなら、ウソだと考えないからです。
そうならないためにも、「これって何算?」と聞くのはやめて、 まずは自分で考えてみる習慣を身につけることが大切なのです。
(本コラムは鳥羽見小学校で配布された、寺子屋通信の内容を再掲しております)