「ありがとね1年間。そして小4からの6年間」
と、今年高校受験だった中3の子からのLINE。
第一志望である地元公立No.1の旭丘高校合格とはなりませんでしたが、それでも第二志望の菊里高校(コロナ禍で私服OKになった)には合格し、合否のお知らせとともにそんなメッセージをもらいました。
「宿題しかしない」
「国語の読解が苦手」
ということで鳥羽見寺子屋に通い始めて6年間。
最初は国語のプリントも「この漢字は習ってないから出来ない」と言っているような子でしたが、とにかく「出来るまでさせる」と言うことをくり返し続けて、今では自分で「わからない問題があるのがキモチ悪い」と思うような状態までに。
なにより、そんな子がこうやって過去にまでさかのぼって感謝を伝えられるようになったのが、一番の成長だなと感じます。
ほかにも、寺子屋が始まった頃に最上級生(小6)だった高3の子が、つい先日、大学に合格したという報告をもらいました(まさか私の母校とは思っていませんでしたが)。
子どもの成長を見守る仕事をしていると、時が経つのは早いなと感じるとともに、親御さんとは違った目線で子どもたちを見ているだけに、小さな成長の積み重ねが、結果的に大きな成長に繋がっていくことを強く感じられます。
それだけに、ほんの少しであっても、できないことができるようになること、そのために継続を続けていくことが大事だなと実感するわけです。
それこそが「成長」の本質じゃないかと。
大人に出来るのは、その環境を整えてあげることだけですが、やるのは本人ですから、その機会をプラスにするかどうかも本人次第です。
確実に言えるのは、やらなきゃ何も始まらない、ということ。
千里の道も一歩から。
この時期は本当にそう思います。
(本コラムは鳥羽見小学校で配布された、寺子屋通信の内容を再掲しております)