先日、寺子屋に通っている子から、「寺子屋って寺で厳しい修行をやるんじゃないの?」とクラスメイトに言われたという話を聞きました(笑)。
子どもが学校で「寺子屋」に触れるのは小6社会科の「歴史」の中でですから、ムリもないですよね。
今は日本各地に「寺子屋」と名のつく塾があったりしますが、江戸時代の「寺子屋」と「塾」は、完全に別物でした。
-
参考なぜ「寺子屋」なのか?
明治時代になるまで、現在の学校のような全国一律の教育システムはなく、地域の「寺子屋」が教育の主役でした。 当時は、今以上に「生まれた土地で死ぬ」のが当たり前の時代ですし、現代のように機械化がされていな ...
続きを見る
たとえば昔の寺子屋は、学校がなかった時代の、寺などの場所で、地域の子どもの基礎的な学びを支援する所(屋)でした。
かたや塾は、読みの同じ「熟」にも入っている「孰(ジュク)=よく煮込む」ように、当時のエリートである武士が、読み書き以上の儒学や兵学、医学、蘭学などの高度な学びをつめ込み、成熟させることを目的とした場所でした。
現代の「進学塾」はそういったところにルーツを持つ、学校の学びをさらに深める場所のため、基礎的な学力や学ぶ意欲がなければ、進学実績がいいという塾に入っても、成績が上がらないどころか授業にもついていけません。
一方で鳥羽見寺子屋は、昔の寺子屋に近い雰囲気を大切にしつつ、学校レベルの基礎的な勉強をきちんとできるようにする、ということを目的としています。
なぜなら、中学生になって勉強についていけなくなる子は、小学校の勉強で「できないまま」にしてきたことがはね返ってくることがほとんど。
中学、高校になってから慌てて塾に入ったところで、成果が出ないこともあります。
だから、鳥羽見寺子屋では、子どもが「この問題ができない」というものは、できるまで練習してもらうようにしています。
実際、小学生の時にそうやって学んでいた子が、中学に入り、地域で一番厳しい進学塾に入っても遅れることなく、常に、小学校の時以上の、トップクラスの成績を取るようになりました。
本人の、小学生の内の小さな努力の積み重ねが、中学で花開いたのです。
(本コラムは鳥羽見小学校で配布された、寺子屋通信の内容を再掲しております)